Menicon Miru 熊本店日本でのコンタクトレンズの始まり♪
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こんにちは!!
メニコン熊本のホームページをご覧いただき、ありがとうございますヾ(=・ω・=)o♥♥
ずいぶん暖かくなってきましたね★★
この春、初めて「コンタクトレンズデビュー」した方も多いのでは!?
そろそろ、はめはずしにも慣れてきた頃でしょうか♪♪
さてメニコン熊本ホームページでは前回に続き、
日本におけるコンタクトレンズの歴史についてお話しします!!
海外でプラスチック製コンタクトレンズの開発が進む中、
日本では1947年、眼科医の水谷豊氏がコンタクトレンズの作成に着手します。
ここで驚かれた方もいるかもしれませんが、
映画やドラマで活躍されている俳優、歌手の水谷豊氏と別の人物です!!(笑)
眼科医の水谷豊氏はコンタクトレンズメーカー「日本コンタクトレンズ(ニチコン)」の創業者であり、
日本のコンタクトレンズの父と呼ばれている方です(`・ω・´)b★★
その水谷豊氏は、1950年にプラスチック製強角膜レンズ(白目も覆うコンタクトレンズ)を作り、
様々な症例(円錐角膜・角膜乱視・不同視眼・近視眼等)に応用し、国内の眼科専門雑誌に発表しました!!
同じく1950年、メニコンの会長である田中恭一が、
米軍将校夫人にコンタクトレンズを持っているという話を聞き、研究に着手しましたヽ(^ω^)ノ♪♪
ここでメニコンの創業者の登場です!!
当時は強角膜レンズが主流でしたが、翌1951年、
日本初の「角膜コンタクトレンズ(白目を覆わないコンタクトレンズ)」の実用化に成功したのです!!
当時の角膜コンタクトレンズのサイズは11.00mm~11.5mmでしたd(・∀・`*)
ちなみに現在のハードコンタクトレンズは約9.0mmなので、比較するとまだまだ大きいですね・・・
いかがでしたか??
いよいよソフトコンタクトレンズのお話に入っていきますヽ(´ー`)ノ♥♥
次回もメニコン熊本がお送りする、コンタクトレンズの歴史をお楽しみに!!
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